昨日、和田山(朝来市和田山町)からの打合せの帰りに、ふと青谿書院に寄った。
子供のころ見学したときより、若干小さく見えた(自分の体が大きくなったのだと思うが)が、ここで、「維新の叡智」の担った人たちが巣立ったと思うと少年のころの「思い」をほろ苦く想い出した。
数日前に書いた浜尾新は、この私塾、青谿書院に学び、のちに文部大臣、東京帝国大学総長を務めた人である。
池田草庵は、10歳で母を亡くし、寺に預けられたが、儒学者・相馬九方に出会い、九方を追って京都で学問に励んだとのことである。京都で塾を開き、その後、請われて郷里に戻り私塾を開設したといわれている。のちに、他の藩からも招請があったが、「人間は名声や金銭、安楽な生活に心を奪われては真の学問はできぬ。清貧に甘んじて自由に誰からも拘束されない境地で生き方をさぐり併せて郷里の人材を教育することこそわが道」と言って辞退したとのこと。この地に尊敬できる真の教育者がいたことを誇りに思います。
ただ、かやぶき屋根の建物がトタン葺きで修繕されているのがなんだか悲しいような気がします。ひっそりと佇んでいるのが、本人の生き方とあっているのかもしれませんが、ふと立ち寄ったときに古を偲べる程度に保存しておいてほしいと願ってます。昨日も、地元の方が修繕をされていました。
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