しばらくブログを書いていなかった。

noteには、ときどき文章を書いていたけれど、ブログからは少し遠ざかっていた。

そんなある日、妻に勧められて濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』を観た。
彼女は原作を先に読んでいて、「濱口監督の作品の中でも、かなりいいと思う」と言っていた。ボクは難病を抱えているので、彼女としては、少し勧めるのをためらったところもあったらしい。それでも「たぶん、いいと感じると思うよ」と。

実際、観終わって、ボクはかなり心を動かされた。
それで原作も読み始めた。
原作は、哲学者の宮野真生子さんと、文化人類学者の磯野真穂さんとの往復書簡である。

そして、宮野真生子さんが九鬼周造の研究者だったことを知った。

九鬼周造。

ボクが九鬼周造の著作で読んだことがあるものは、たぶん『「いき」の構造』くらいだったと思う。「いき」を、「媚態」、「意気地」、「諦め」という三つの側面から考えていくあの本である。
若い頃に読んだとき、自分の中の闇(意識したくない自分の仮面)を突かれたような気がした。

そして、宮野さんの著作のタイトルを眺めているうちに、ある言葉がボクの中から浮かび上がってきた。

「邂逅」


「邂逅」という言葉

ボクにとって、「邂逅」という字には、ちょっとした思いがある。
大学に在学していた頃、大学生協の書評誌があった。

その名前が「邂逅」だった。

ボクはそこに本の短い書評を書いていた。

「本との出会い」を「邂逅」と意識していたのかもしれない。
たしか、そんな感覚が若い頃の自分の中にあったのだと思う。
ボクは大学時代によく本を読んだほうだと思う。

浪人を何年もして、大学に入ってからも大学に通いながら別の大学の入試を受けようとしていた。

いま思えば、ずいぶん妙で愚かな生活をしていた。
そして、あの頃は、読書というものに自分のアイデンティティを託していたような気がする。

学問に対する憧れもあった。

同時に、どこか「本を読む量だけは人に譲りたくない」といった思いもあった。一体「誰に対して」だったのかは自分でもわからないが、当時のボクには奇妙な自尊心のようなものがあったのだと思う。

時代はポスト構造主義や脱構築が盛んだった頃で、ボクはそういう本も夢中になって読んでいた。けれど、いま振り返ると、それは単なる知的好奇心だけではなかったのかもしれない。

ちょっと、関西弁でいうと「いちびっていた」のだと思う。
自分のちっぽけさや、病を直視しないために。 

本を読み、本を読み、本を読み、読書で固めた自分を「自分自身」だと思おうとしていた節があった。

エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』ではないけれど、ボクにとって読書は、ある種の「逃走」でもあったのではないか。

そんなことを、いまになって思う。


病には「遭う」

ここで、ひとつ言葉について、ボク自身の中でどうしても区別しておきたいことがある。

ボクは「病に出会った」とは言いたくない。

病には遭う。

病気は、自分が求めて出会うものではない。
突然、自分の人生に降ってくる。

ボク自身、16歳から発症し、23歳の頃にクローン病という診断がついた。

病名がつくまでは、「恐ろしい闇」がボクにせまりつつあると思っていた。
「胃が悪い」というような理解で、自分の身体に起きていることを受け止めようとしていた。

16歳のあの頃、ボクは病に遭っていた。

それを知らないまま、本を読み、人と出会い、文章で何かを残そうとしていた。


そして、『4月1日』を探し始めた

「邂逅」という言葉を思い出したことから、20歳前半の頃のことをいろいろと思い出した。

『4月1日』という短編。

1985年、23歳のときに書いたものだ。
当時のボクは、10×20字詰めの原稿用紙に30枚ほどの初稿を書いた。

それを何度か書き直した。

最終稿はワープロで打ち直し、簡単に製本して、ある人の誕生日の贈り物として渡した。
もらった方は迷惑だったに違いない。

2018年には、その最終稿をnoteに起こそうとしていた。
その最終稿を引っ越しをしている間にどこかに行ってしまい。
探していたのだが、なかなか見つからなかった。 

ところが、今回探していたら、思いがけないものが出てきた。


「処分可」の箱から

それは、「処分可」と書かれた箱の中に入っていた。
40年前の初稿だった。

表紙には、当時使っていたペンネーム、

「高馬憧雪」

と書かれていた。

ボクはしばらく、その名前を眺めていた。

芳賀諒は、書評などに、高馬憧雪は、散文に使っていたペンネームである。
23歳のボクが使っていた、二つの名前だった。 

そして、原稿用紙をめくっていく。

そこにいたのは、いまのボクがすっかり忘れていた23歳だった。


[1985年の『4月1日』初稿]


九鬼周造について書いた原稿ではない。
他愛のない数時間を描写しただけの物語りである。

けれど、その頃のボクが何を考えていたのかが、箱からでてきた別の原稿から少し見えてきた。

天皇制について考え、日本について考え、戦後について考え、アメリカについて考え、近代について考えている。

まだ九鬼の名前は出てこない。
けれど、いま九鬼周造を読み返している63歳のボクから見ると、「ああ、この頃の自分は、こういうことを考えていたのだな」と思う。

問いの形は変わっている。
考えている対象も変わっている。それでも、何かがずっと残っている。


「邂逅」の中にいた「芳賀諒」

さらに探していると、大学生協の書評誌「邂逅」も出てきた。

1989年7月1日発行の第35号。ページをめくると、そこにも「芳賀諒」がいる。
新井満の『ヴェクサシオン』について書いた書評だった。

その中に、ボクはこんな言葉を引用していた。

「雨は傘を持っている人のところにふる」

40年近く経って、いまボクは『急に具合が悪くなる』をきっかけに「邂逅」という言葉を思い出し、その「邂逅」を探しているうちに、23歳の自分の文章に出会った。

そして、その文章の中に、また「邂逅」がある。

なんだか、出来すぎている。

神様の仕業なのか。啓示なのか。
「お前、今からでも物書きになれ」とでも言われているのだろうか。

……まあ、そんな大げさな話ではないのだろう。絶対に。


63歳のボクと、23歳のボク

ボクには昔から、

「脱稿したものはなおさない」

という妙なルールがある。
だから、40年前に完成させた『4月1日』を、63歳のボクが書き直すつもりはない。
まして、今回見つかった原稿は最終稿ではなく、最初のペラの30枚ほどの初稿だ。

それを「63歳の完成稿」にしてしまったら、少し話が違ってくる。そうではなくていい。40年前のボクが書いたものは、40年前のボクのままでいい。

63歳のボクは、それを読めばいい。

もしかすると、今回のことは「過去を振り返る」ということですらないのかもしれない。23歳のボクと、63歳のボクが、たまたま出会った。
そんな感じがする。

病には遭う。けれど、本には出会う。
人にも出会う。言葉にも出会う。

そして、ときには、
昔の自分にも出会う。


だから、『4月1日』をもう一度

2018年に途中までやっていた『4月1日』のnoteを、もう一度再開してみようとも考えている。今度は、63歳のボクが作品を書き直すためではない。

23歳の「高馬憧雪」に、もう一度筆を渡してみる。
その散文が、いまのボクに何を語るのか。

それは、まだわからない。たぶん、わからないままでいい。

『4月1日』はこちらから。

https://note.com/narizy007/m/mf4863f99cc8f

そして、この文章を書きながら、ボクはふと思う。

「邂逅」という言葉を思い出したことから始まって、40年前の自分にまで戻ってきた気がした。少しだけだが。