約40年前の7月4日、私はボストンにいた。

正確には、ボストン市内から西20マイルほどのウェルズリーにいた。
カレッジの語学研修のようなプログラムに参加し、ドーム(ドミトリー)で暮らしていた。

二年続けて、およそ90日ずつ。

渡米する前の私は、アメリカを「ヘゲモニーの国」と見ていた。
どこか反発心すら抱いていたと思う。

しかし、そこで出会った学生たちや私たちをフォローするチューターは、
私の先入観を大きく覆した。

毎日のように議論をした。

政治のこと。
社会のこと。
歴史のこと。
国際社会のこと。
そして、日本のこと。

驚いたのは、彼らが自分の国を遠慮なく批判していたことだった。
その姿を見て、私は初めて思った。

アメリカは、強い。

強さとは、軍事力でも経済力でもない。
自由に議論し、自らを批判できる社会の強さだった。


その年の独立記念日。

花火を見るために、ドームのカーテンを外してシート代わりにし、
朝からボストンコモンで場所を確保した。

同じく場所取りの担当になった私とアメリカ人は、一日中そこで過ごした。
議論をし、ときどき歩いてボストン美術館へ行きまた芝生へ戻る。

夕暮れになると、人々が集まり始め、街には『Born in the U.S.A.』が流れた。

今思えば、あの歌もまた、単純な愛国歌ではなかった。
その国を愛するからこそ、自らを問い続ける精神が、そこにはあったのだと思う。


私はボストンへ旅行したのではない。
少しだけ、暮らした。

毎朝ジョギングをする。

犬を散歩させる人たちと、すれ違うたびに、
“Good morning.”
と挨拶を交わす。

最初の一週間は、それだけだった。

やがて、「いつまでいるの?」
と声を掛けられ、一緒に歩きながら話をするようになった。

そんな関係は、数日の旅行では生まれない。
その土地を知るには、観光するのではなく、少し暮らしてみることなのだと思う。


余談である。

その土地で暮らしていると、淡い恋愛感情をもつこともある。
しかも母語ではない英語である。

ごまかしが利かない。
気の利いた言葉も、難しい表現も使えない。

伝えられるのは、知っている単語と、
表情と、誠実さくらいだ。

今になって思えば、それもまた、貴重な経験の一つだった。


40年後の今年、私はアイルランドを旅した。

ベルファストでは、思いがけず、社会が揺れる瞬間に立ち会うことになった。

滞在中、市内で起きた傷害事件をきっかけに反移民感情が高まり、
プロテストは暴動へと発展した。
バスは止まり、私はセントラルから滞在先まで歩いて帰ることになった。

途中、黒い服に黒いマスクを着けた集団とすれ違った。

スマートフォンを向けることはできなかった。

あの場には、観光客として写真を撮るべきではない空気があった。
私は、プロテストという行為そのものを否定したいとは思わない。

選挙だけではなく、
市民が自らの意思を表明する場を持っている社会は、
一つの健全さでもあると思うからだ。

しかし、その意思表示が暴力へと変わった瞬間
守るべきものまで失われてしまう。

民主主義とは、その境界を問い続ける営みなのかもしれない。

私は、ニュースでは決して伝わらない街の空気を、偶然その場で感じることになった。


そして今日、アメリカは建国250周年を迎えた。

リベラリズムの国・アメリカは、
今、大きな岐路に立っていると、多くの人が感じている。

私には、現在のアメリカの肌感覚は分からない。

だからこそ、40数年前に出会った、自由に議論し、
自らの国を批判していた若者たちの姿を思い出す。

あの精神は、今も、この国のどこかで息づいていると信じたい。

揺れる故のアメリカを、私は信じたい。


若者よ。

世界をニュースだけで知ったつもりにならないでほしい。

できるなら、観光客としてではなく、
その街の住人として、少し暮らしてみてほしい。

世界は、風景だけではない。

人との挨拶があり、議論があり、淡い恋があり、
ときには社会が揺れる瞬間にも出会う。

それらは、その土地に時間を預けた者だけが得られる経験である。

世界は、本やニュースの中だけにはない。

世界は、人の中にある。

若者よ、世界を体感する旅に出られたし。

できるなら、旅人ではなく、その街に少し暮らすつもりで。