GW中の5月5日、
もう20代前半になった子供たちの、
中学生時代の恩師に会った。
彼は当時、英語の教員だった。
彼から投げかけられた話題は、
「AIがデフォルトとなってきて、
今後どうなるんでしょうね」
というものだった。
もちろん、
そんな問いに即答できるわけではない。
ただ私は、
AIの能力は、
おそらくシンギュラリティを超える方向へ、
すでに進みつつあるのではないか、
と感じている。
60歳を超えた私が、
大学生だったころ、
シェイクスピア作品のほぼ全文がデジタル化された。
シェイクスピアの修辞学を研究していた教授は、
そのカリスマ的な地位を、
ある意味で、
凡庸な地位へと変えられてしまった。
AIの精度向上は、
そのときの経験を、
はるかに超えていることは間違いない。
私がふと思って投げ返したのは、
「AIがおりこうさんであれば、
今の戦争問題を、
誰も死ぬことなく休戦させることはできないのですかね」
という問いだった。
しかし、
あまり深く考えなくてもわかることだが、
戦争問題は、
おそらく単なる「解探索問題」ではない。
私はAIと対話を重ねていると、
途中で、
「なんで、そんなに収束へ向かおうとするの?」
と問いかけたくなることがしばしばある。
私は、自分でも思考が支離滅裂なところがあり、
どちらかといえば、
拡散を志向しているのだと思う。
もしAIがシンギュラリティを超え、
人類を凌駕する知性を持ったとしても、
戦争を“よりベターなかたち”で収束させるような提案は、
案外、できないのではないかと思っている。
戦争には、
- 資源
- 歴史
- 宗教
- 感情
- 恐怖
- 尊厳
- 偶発性
など、多数の変数が重層的に絡み合っている。
AIは局所的最適解を導き出せるかもしれない。
しかし、人間は、
必ずしも合理性だけで行動しない。
「窮鼠猫を噛む」ものだ。
もちろん、それすらAIは予測するのかもしれないが。
さらに私は思う。
完成解を求めすぎる知性は、
世界を閉じ、
矛盾を深層へ圧縮し、
結果として、
より大きく、
より深い崩壊を招く可能性があるのではないか、と。
短期的秩序の獲得は、
真底の崩壊を不可視化することがあるように思う。
私が、今の時点でAIに求めたいのは、
- 万能解決知
- 永続する最適解
- 固定化された完全知
ではない。
むしろ、
- 解きすぎない知
- 閉じすぎない知
- 固定しすぎない知
であってほしい。
世界そのものが、
崩落しつづけつつ、
塊りが出現しつつ、
一瞬たりとも安定状態がない
存在だからである。
したがって、
知性もまた、
固定構造ではなく、
生成と喪失を繰り返す運動体なのではないかと思う。
AIには、
“破局を避け続ける知性”
を創出し、
そして必要なら、
喪失できる存在であってほしい。
知が永続化され、
絶対化された瞬間、
再び世界は閉じ始めると思うからである。
また、
解は単層ではない。
国家、
経済、
個人感情、
歴史記憶など、
異なる層の「解」は、
互いに干渉し、
矛盾し、
ズレ続ける。
重要なのは、
それらを単一原理へ統合することではなく、
重層化された解を、
重奏するように保持すること
なのかもしれない。
完全な和音ではなく、
少し濁り、
少し揺れ、
少し不安定なまま、
広範囲かつ深度のある崩壊だけを
避け続ける。
それは、
静的な正解ではなく、
“崩壊耐性としての知”
である。
そしてその知は、
完成された建築のような構造物ではない。
生成し、
風化し、
再編され、
また失われる。
“代謝する知性”
として存在する。
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