鞄屋と酒屋が似ていると思った。
自分でも少し唐突だとは思う。
もちろん、小売の話ではない。
頭に浮かんでいるのは、どちらも「作り手」のほうだ。
鞄メーカーであり、酒蔵である。
酒と鞄は大きく違う。
ひとつは摂取するものであり、もうひとつはそうではない。
身体に取り込まれるものと、外側で使われるもの。
その違いは決定的なようにも思える。
けれど、それでも似ている気がした。
どちらも「好み」が強く出る。
良し悪しではなく、合うかどうか。
人によって評価が大きく分かれる。
そして、その「好み」は、スペックや機能だけでは説明しきれない。
味わいや使い心地といった言葉で説明できる部分もあるが、
それだけでは掬いきれない何かが残る。
自分はこれまで、鞄メーカーとの付き合いのほうが多かった。
一方で、作り酒屋とも関わりがある。
どちらにも、それぞれの「こだわり」があることは知っている。
にもかかわらず、
なぜか似ていると感じた。
日本の酒屋は、かつては各町にいくつもあった。
それぞれが自分の酒をつくっていたはずだ。
土地ごとに味があったのだと思う。
けれど、その多くは、自分の味を手放していった。
大手メーカーへの供給元、いわゆるOEMとして。
それでも、しばらくは成立していたのだろう。
つくる側としての役割は残っていたからだ。
だが、酒造りが工業化していく中で、
その役割そのものが、少しずつ不要になっていった。
そして、多くの小さな酒屋は姿を消した。
同じような構造を、鞄屋にも感じる。
自分が住んでいる豊岡は、日本一の鞄の生産地だと言われている。
けれど、この町から「日本を代表するブランド」が生まれているかというと、少し言葉に詰まる。
兵庫は酒どころでもある。
灘の宮水のように、土地の条件が産業を支えてきた場所だ。
その同じ兵庫で、
一方は大手メーカーへと集約され、
もう一方は生産地として残りながら、
どちらも「自分の名前で語られる存在」にはなりきれていない。
鞄は、まだOEMという形で役割が残っている。
だから豊岡は、日本一の生産量を維持している。
けれど、その前提も揺らいでいる。
縫製技術は海外でも成立するようになり、
「ここで作る必然性」は、以前ほど強くなくなっている。
そこで、生き残りのために自社ブランドを立ち上げる。
けれど、何年経っても、それがうまくいかない。
技術はある。
品質にも自信がある。
OEMで鍛えられてきたという自負もある。
それでも、何かが足りない。
それが何なのか、うまく言葉にはできないが、
ひとつ思い当たるのは「物語」なのかもしれない。
豊岡の鞄には、長い歴史がある。
柳行李から始まり、パリ万博にまで出品された背景もある。
けれど、それは「産地の物語」であって、
個々の作り手の物語があまり見えてこない。
誰が、なぜ、それを作っているのか。
どんな時間を経て、その形になったのか。
その輪郭が見えない。
それは、多くの小さな酒屋が消えていった構造と、
どこか重なっているように思える。
しかも、同じ兵庫という場所で。
うまく整理できている気はしないが、
鞄屋と酒屋が似ていると思ったのは、
たぶん、この「名前を失っていく感じ」にあるのだと思う。
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