ある中学校のオーサー・ビジットで尾木直樹氏の「人間関係で一番大切なものはなにですか?」の問いに対する氏自らの答えである。
「誠実さと共感力」って何よ?と子供に感じさせながら「授業」がすすめられたような記事が新聞に出ていた。
なんでもかんでも、「・・・力」って感じも一瞬するが、「共感力」には、あまり違和感がないのと、最後は、「LINEでトラブルに書き込まれたり、悲しい思いをしないようにね」という注意喚起に結びつけられていたところは、「誠実さと共感力」の大切さにまさにstrong共感/strongを持った。
ネット環境の便利さは、この業界で仕事をしていることもあり、実感もするし、否定をする気もない。ただ、人間関係を「形作る」ためのコミュニケーション手段として、ネットはまだstrong未熟/strongのように思うことがよくある。メールで「誠意」をあらわす表現はなかなかできないように日々感じるし、実際に、会えばすぐに解決することや、会わなくても電話で話をすればスムーズに意思の疎通ができる経験を何度もしてきた。
「若者」(あえて括弧つきの若者)は、LINEなどで「『愛』を語る」(書く)ことができるようであるが、ボクにはその能力がないと実感する。もちそん、会話の継続として、ショートメールなどを使うのは理解できるが、LINEで交わされる言葉の数々で、人間関係が育まれるとは、どうも想像できない。半世紀も生きてきて、頭が硬化しているのかもしれないが・・・
逆に、面と向かって「喧嘩」はなかなかできない(もちろん腕力もないこともあるが)が、メールでは結構簡単にできてしまうことを何度も経験している。まあ、喧嘩というよりも、関係性は破断するのを伝達する手段として、メールは「威力」を発揮するように思う。
尾木氏は、共感力は、「『今、友達はどんな気持ちだろう』と感じる力」と解説しているが、まさに「思いやり」であろう。LINEやコンピューターで打ち込まれる文字に「思いやり」を込めることは何とも難しいように思えてならない。
しかも、キーボードは、「たたく」ものである。スマホは「たたく」という感じはないが、パソコンのキーボードは今でも、「たたく」印象が強い。叩いてはきだされる言葉というのが、影響しているのではと思ったりする。
「呼吸」とともにつぶやく言葉を大切にしたいものである。
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